生コンクリート、半生コンクリート、完熟トマト。

こんにちわ。澤田です。

もう3月です。弥生です。早いものです。

気になったらすぐ調べるのですが、軽く弥生について調べてみました。

3月になると少しずつ春が近づき始め、冬の間は縮こまっていたたくさんの花や木草が一斉に成長する月なので「木草(きくさ)弥(いや)生(お)ひ茂る月」が「弥生(やよい)」と詰まって呼ばれるようになったと言われる説が有力なようです。

縮こまっていたものが一斉に成長する月。そんな1か月にしたいものです。

さて校長先生の長い話は苦手なので、本題へ。

最近流行っている打ちっぱなしコンクリート知ってる?

読んでいる方の中で、打ちっぱなしに住んでおられる方もいるのではないのでしょうか。

下記の画像のような構造体のことを指します。

いわゆる外壁を塗装とかせずに、コンクリートのそのままのありのままをさらけ出している状態です。

それが逆におしゃれで写真や映像の映りがいいことで、何年か前から評判となっており、

至るところで、打ちっぱなしコンクリートを見る機会が増えました。

これもまたコンクリートの魅力を伝えることができるひとつです。

もっと欲を言えば、完成されたこのコンクリートはなにからできていて、

どんな過程で製造されているのか。まで気になるひとが増えたらバンバンジーなのですが、なかなか….。

そこでちょっと豆知識を含めて、描かせていただければと思います。

まず生コンクリートに入っている材料の話ですが、以前にコラムを描かせていただいたので

そちらをまずはご覧ください。(セメント編砂・砂利編

そもそもなぜ「打ちっぱなし」というのか。

それはコンクリートを打設することに由来しています。

打設しっぱなし→打ちっぱなし。となりました。ゴルフではありません。

いや打設ってなに?と思った方。ぼくも知りません。

でしたが、調べていくうちにわかりました。「コンクリート 打設とは」で検索したら一発でわかりました。

わからなかったらすぐにググる。コレジョウシキアルネ。ナンノタメニアナタスマホモッテルアルカ。タダノケイタイデンワジャナインヤゾ。

冗談はさておき。

まず「打設」とは、

建物の基礎となる生コンクリートを枠の中に流し込むことです。

それを踏まえて、本来の言葉としての意味は、生コンクリートを高密度に充填するために、竹の棒などで入念に突いたり叩いたりして、空気や水を追い出したことに由来します。それを違う読み方で「打ち込む」ということもあります。

しかし、今竹の棒なんかで突いたりするのは、よっぽどではない限り稀でほとんどが

バイブレーター(下記画像)を駆使して、打設されます。

まとめ

打ちっぱなしとは、枠の中にコンクリートを流し込んで、

固まってきたらその枠を外して、もうそれが完成の状態ということです。

さて今回は打ちっぱなしコンクリートの打ちっぱなしとはどういう意味なのかについて、

コラムを描かせていただきました。

いかがでしたでしょうか。

 

個人的に打ちっぱなしには住みたくないです。

鑑賞するだけで満足です。


おまけ

さわそうの美学。

私澤田の考えや想いをつらつらとただ描くだけのおまけコーナーです。

ほんとに自己満足のおまけを始めようと思います。

会社のコラムで描いてしまうあたりぶっ飛んでると思いますが、

ぶっ飛んでるぐらいがちょうといいんです。

ここまで読む人は、ほんとにヒマなひとだとじぶんに言い聞かせてください。

そうあなたはヒマナンデス。

ぼくは基本的にすべての人類ヒマだと思っています。

忙しいと言ってる人は、言っているじぶんに酔っているか、

言って周りのひとから遠ざけるために言っているに過ぎません。

なのでぼくは基本的にいつもヒマと口で言っているし。

忙しかった?と聞かれても、いやなにもしてない。と答えています。

ここで気付いてほしいのは、なにもしてないからこのひとはダメだ。

というひとはなにを他人に期待しているんだという点です。

他人に期待なんかするから、他人を批判したり、他人と比べたりしてしまい

いじめや競争の呪縛から解放されないのです。

だからぼくは他人には期待もしないし。逆にぼくにも期待しないでほしい。

 

ぼくはいつなんどきでもヒマで、なにもしていないです。


読んでいただきありがとうございました。

次回もお楽しみください。

 

「なにを」するよりも、「だれと」するか

人間開発しているちょっと怪しい会社。

ドライテックナビ CSO 澤田宗一郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おまけに一番力を入れているのは、ここだけのお話)